僕がハワイを好きな理由

モーハワイブログから引っ越してきました。ハワイに行ける状況になったらこちらで更新していきたいと思います。

青天の霹靂

それは6月19日(火)の夜に起こりました。


次の日がお休みだったmomは女将O(⇒ブログ)と食事の約束をしていました。 一度帰宅して、僕らの夕飯の準備をし、 僕が帰宅するのと入れ違うようにして出かけて行きました。 午後8時過ぎのことでした。

僕は帰宅するともう携帯を見ることはほとんどなく、 電話も滅多に掛かってこないのでバイブのままかばんに入れっ放しにしてることが多いのです。 さて、そろそろ寝ようかなと、何気なく携帯を見たら、尋常ではないほど多くの着信が・・・ と、次の瞬間、自宅の電話が鳴りました。

すぐ出ると、

女将O  「ごめん!momが頭打って・・・ごめん・・・」 救急隊員「ご主人ですか?これからS橋病院に搬送します。病院の方に来てください。」 僕    「わかりました。」

この時、僕はそれほど重大に捕らえていませんでした。 頭打って、切れて、出血してるくらいなんだろうと高をくくっていました。

それでも、急いで病院に駆けつけたのが30分後、momは気分が悪くてトイレの中でした。 この時はまだ微かにではあるものの意識もありました。

女将Oの話によると、お店を出て一緒に歩いていると、 後ろからの突然の突風にあおられ、二人とも飛ばされてしまったということでした。 女将Oは足から着地して無事でしたが、momはどうやら後頭部をガードレールに打ち付けてしまったようでした。

なかなかじっとしていられなくてやっとのことでCTを撮ると、事態は思ったよりも深刻である事がわかりました。 この病院では対応が出来ないので、もう一度病院を探がすことになりました。

隣の区のS第一病院に搬送が決まったのが約一時間後、その頃にはmomの意識もなくなっていました。 再度搬送された病院でもう一度CTを撮り、その画像を見ながら医師は言いました。

脳挫傷です。もちろん最悪は死亡です。良くても旦那さんのことをもう認識できないでしょう。」

もちろん感情移入をしないようにしてるのでしょうけど、やけに明るい口調が気に障りました。

「損傷を受けた場所は、記憶、言語、性格などを司るところで、手術をするような場所ではありません。 保存的治療になり、とりあえずは48時間が勝負です。お子さんにはなるべく早く会わせてあげてください。」

胃の中がドーンと重くなり、吐き気を感じました。 となりで一緒に話を聞いていた女将Oが過呼吸になってしまうと、その医師は僕に、 「あのー、この方、大丈夫ですか?」 おいおい、それを僕に聞く?(涙) 僕はただただ背中をさすることくらいしか出来ませんでした。 その後、何度も病状について医師と話す機会を得ましたが、 もうホントに酷い事しか言われなくて、医師嫌いになりました。

ICUに入る頃、momは直接ぶつけてないはずなのに、 KOされたボクサーのように顔が内出血で腫れ上がり、 見た目にも重症であることがわかりました。

自宅に戻ったのは朝の7時を過ぎていました。 まず、学校に今日は欠席することを連絡し、息子を起こし、状況を説明し、一緒に泣きました。

あの日からちょうど2ヶ月が経ちました。

今僕はmomの許可を得てこのエントリーを書いてます。

当初、どうなるかわからなかったのであまり多くの人に知らせませんでした。 モーハを通じて知り合いになった方もたくさんいますが、もしかすると不義理をしているかもしれません。 こんな事情ですので、許してください。

怒涛の2ヶ月でした。 長短合わせて3つの病院に入院し、そして今また別の病院に通院しています。

最初は、全く理解不能な言葉をしゃべっていました。 それを過ぎると今度は人の名前や、物の名前が全く出てきませんでした。 医師の言うように誰のこともわからないっていう感じではなく、 わかっているけど、出てこないって感じでした。 結局、最初に入院していた病院では、他の人の名前はちらほらと言ったりしてたのに、 一度も僕の名前を呼んでもらえませんでした(涙) 一日のほとんどを寝てましたが、それでも目を開けてる間はなるべく話しかけるようにしていると、 少しづつ会話が成立するようになり、脳の腫れが収まってくると、起きている時間も増えてきて、 失っていた言葉も徐々に戻ってきました。 現在は90%以上戻っている感じです。

奇跡的な回復だと思われます。 一年後、二年後にでも仕事に復帰できればいいねと話していましたが、 本人は10月か11月にでも復帰する考えのようです。 さすが、momなのであります。

事故のあった翌日、凄くきれいな夕焼けを見て、 絶対に良くなると直感したあの日が遠い昔のようです。

mom、完全復活に向けてリハビリ中です!